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~ありがとね。こんな星降る夜空をね、一緒に見たかったんだ。ありがとね。~
2009年8月12日の夜は「ペルセウス座流星群」を楽しもう!
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2007年7月 3日(火曜日)
[ あのね・・・ ]
「いただきます。」
また今日もね、「いただきます。」って言ってご飯を食べたよ。でもね、また今日もね、実感できないんだ。頭では分かるんだけど、どうしても心では感じない。それで悩む。
ご飯を食べる時の「いただきます。」って言葉の前にはね、ある言葉が省略されているんだって。それはね、食べるって事は一体どんな事なのか、生きるって事は一体どんな事なのかということ。その大切な部分がね省略されているんだって。
目の前のお皿に並んでいる、ご飯も、お肉も、お魚も、野菜も、海草もみんな生きていたんだ。それもね、太陽をいっぱい浴びて田んぼで育ったり、牧場でのんびり草を食んだり、雨の恵を葉っぱに感じながら育ったり、それぞれ生きてきたんだ。その命を食べることで、僕は生きていける。それにね、育った土地の空気や気温、流れる時間の感覚、育てた方の想いやいままで積み重ねてきた経験・人生、いろいろな物が詰まっているはずなんだ。
こんな基本的な繋がりの中に僕は生きているのに、毎日ご飯を食べるのもかかわらず、その繋がりが見えないし、感じられないことに苛立ちを感じる。
※うまく言えないけれど、「自分では作ってないのにかかわらず、誰かが作ってくれていて、そこまで運んでくれて、誰かが料理をしてくれているような経済があるから、お金を払えば食べられる。それはすごく幸せなこと。」とかいうお金のありがたみとか、流通のすばらしさとか、自分で米を育てなくても食べられる幸せとか、そういうものとは違う感覚。
最後に「いただきます。」を省略しないで。
「あなたの命を私の命にさせていただきます。」
今の想いを大切にしたいから。忘れてしまうその前に、そのまま聞かせて。
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